子供時代は「考える」の連続。毎日が新しい体験だから。この子猿もきっとそう。未知ゆえに悩んで考えて。この写真、東京・上野動物園で撮影しました。自分らしくを応援するサイト「I thinkでいこう」より。矢嶋剛が著作・制作・運営をしています。

§03 解らないから「考える」

人は、なぜ考える?

なんか哲学的なテーマですが
(われ思う ゆえにわれあり?)

この I thinkでいこう!は
難しいコネクリが嫌いなので
スバッと言います。

どうしていいか解らない!から
考えるんです。

たとえば、卒業後の進路。
「どうしよう…」
「そろそろ決めとないとヤバイ」

初めての海外旅行、
「どの空港に着くんだっけ?」
「予約したホテルへ行くには…」

初キャンプ、
「焚火って…どうやるの?」

このように、
未知の世界に踏み出すとき、
人は不安になります。

ですから、考えます。

ところが反対に、

よく知る世界に浸っているとき、
人はすっかり安心してしまって
「考える」を停止します。

たとえば、通勤通学。

同じ時刻、同じ道を通る日々。
道中、ずっと「ぼぉー」

とつぜん更地になった土地を見て
「あれ、ここ、前、何だったけ?」

まったく覚えていません。

昨日食べたご飯も同じ。

毎度毎度いつものことなので
これまた「ぼぉー」。

いつもの手順。ルーティンワーク。
不真面目っていうんじゃなくて、
慣れ過ぎて「ぼぉー」。

「ぼぉー」「ぼぉー」「ぼぉー」

そんなとき、「考える」は
何処かへ行っちゃっているし、
それが少しも気になりません。

それでも人は生きていけます。

けれど、
刺激が少ない人生になると
思います。

「そんな人生は、嫌だなぁ~」

色々な体験をしたいし、
「やったぁ!」と叫びたい。

そう望むなら、知らない世界へ。

勇気を出して
飛び込むしかありません。

そんな未知の世界では

あなたは素人。初心者。ビギナー。
そして異邦人です。

既知の世界で
どんなに有名でも
威張っていても同じです。

事情がわからずドキドキ。
そして無意味にウロウロします。

初めての登校。
転校した初日の日。
新入社員の初出社。
不慣れな土地への単身赴任。

未知の世界はいつもドキドキ。

そのとき、
「考える」は必須になります。

あなたの新入学・上京・初出社を
思い出してください。

「何分発の列車に乗る」
「雨が降ってバスが遅れたら…」
「友だちできるかな?」
「最初に何て挨拶しよう」

そんなアレコレを
考えませんでしたか。

あのとき自分なりに答えを出して
実際にやってみて、
違う答えが見つかって。
毎日がその連続。

そうじゃありませんでしたか?

人はこうやって未知の世界に
馴染んでいきます。

「考える」人と、
  「考える」を忘れる人

ところで…
どんな人生を歩みたいですか。

未知の世界に飛び込む人生もあり。
飛び込まず、既知の世界から出ない
人生もあり。

どちらも選べますが、
様子はだいぶ違ってきます。

未知の世界を選んだ人は
「考える」必要に迫られながら
なんとか適応し、「考える」人に。

一方、既知の世界を選んだ人は
未知に適応する必要がないので
時が経つにつれ「考える」を
忘れた人になっていきます。

こうして人は、
「考える」人と
「考える」を忘れた人と
に分かれていきます。

そして「考える」人は、
解らない!に挑み続け、
自分の世界を広げます。
 (バンジージャンプに挑戦!)
 (外国で暮らしてみる)

一方、「考える」を忘れた人は、
解かっている世界の中を
徘徊し続けます。
 (俺の若い頃は…ばかりを回想)
 (ゲーム ばっかりしてる)

あなたは、
どちらになりたいですか?

「考える」って、実は
こういうことなのです。

「考える」とは…

もうお分かりだと思います。

「考える」って、
生きるための手段です。

未知の世界へ飛び出すと
不可欠になる…

必死、汗だく、焦りまくり、
悩んで悩んでどうしよう?!
という行為です。

けれど必要ないなら、
しなくても済む行為で、

どうする?の選択は自由!
という行為でもあります。

ですから
「考える」をする?しない?は、
その人の人生、生き方、生きざま、
価値観、ライフスタイルの問題と
直結しています。

頭がいい➾考えるの得意 は誤解

ですから…
「考える」の得意or苦手って
頭が良いor悪いと関係ない話
なんです。

どこか、イメージ的には、
秀才、成績がいい、IQが高い、が
「考える」得意!に近そうですが…

誤解です。

わたしは、今まで…
いろいろなことにチャレンジして、
その時々でいろいろな事を考えて…。
そういう生き方を得意というのなら…


これが「考える」の得意!の
真っ当。真の姿です。


この目線で世間を眺めてください。
すると、
「考える」人=学者、先生、教師で
ないことに気づきます。

博士や教授でも「考える」を忘れ、
既知の世界(例 自分の学説)に
閉じこもっている人がいますよ。


はい、もう、お分かりですね!

「考える」は、学校の成績とは
関係がありません。

勉強ができる、できないとも
関係ありません。

テストの点が高いから
「考える」の得意!なんて
思っている人がいたら…

「違うよ!」って
注意してあげてください。

(おしまい)

   
子供時代は「考える」の連続。毎日が新しい体験だから。この子猿もきっとそう。未知ゆえに悩んで考えて。この写真、東京・上野動物園で撮影しました。自分らしくを応援するサイト「I thinkでいこう」より。矢嶋剛が著作・制作・運営をしています。
子供時代って、毎日が新たな体験。
「これは何?」「どうしてぇ?」の
連続です。この子猿さんも考え中。
(東京・上野動物園にて撮影)

追伸

なぜ人は考える?…その理由を書きました。
答えは未知の世界にありました。「考える」
は生きる為の手段でした。考える?ない?の
選択は、その人の生き方、価値観、ライフス
タイルに直結していました。「考える」とは
どんな人生を歩みたい?という問題そのもの
でした。ですから「考える」は、その人への
期待とつながっていて…。そんな話を次の
§04でします。企業が求める人材
ついて。「考える」とは?の続編です。

  

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